一生添い遂げる誓いをした夫婦でも、価値観や考え方のズレ、想定外の壁にどうしても
共に乗り越えることが出来ない事実があります。お互いにです。だからきっと喧嘩したり
話合ったり、時には諦めたりして乗り越えていくのでしょうが、私たち夫婦はきっと話し合う、ぶつかり合うことから逃げてしまい、すれ違っている間に『夫婦』として、『家族』としての方向性にも“ずれ”が生じていて、気づいたときにはもう旦那は「修復」を望まない選択を決断していたのかも。
今日のブログには、一方的に私自身側が感じた旦那とのすれ違いの経緯を記します。
でも決して盛ることない事実です。
旦那と結婚して20年目。
娘2人
旦那は結婚当初はグループ会社としはそこそこ大きな規模の
会社に務めておりました。
結婚1年目⁽28歳):マンション購入
※購入時の住宅ローンは住宅金融公庫 債務者旦那のみ
名義は2人共有名義
結婚9年目⁽37歳):転職
※理由は上司の理不尽な態度に我慢出来ず。
わたしは2人目を妊娠中で、会社を安易に辞めることには絶対的に反対し、
止めていました。
が、ある日、私に内緒で辞表を出し、退職しても何日かは出勤を装って
外出し、ゴルフなどに行っていたという事実を後に旦那の実家にて
親戚一同の前で知らされた。知らなかったのは私だけでした。
結婚11年目⁽39歳):転職
※前回の転職からわずか1年ほどで辞め、現在の会社へ転職。
収入は月収で10万弱、年収で80万近く減った
結婚12年目 :住宅ローンの借り換え 住宅金融公庫→銀行
債務者:旦那 連帯保証人:わたし
※旦那の収入と勤務年数から連帯保証人をつけるという条件となってしまった為
結婚13年目 :借金発覚(アコム50万)
※結婚してから遊ぶ⁽ゴルフ等)お金がお小遣いだけでは足りないと理由で
借り入れた利子だけを払っている状態で、それでも払えなくなって何度も親に
お金を借りに行っていたと、ある日旦那の両親に呼び出され、
わたしは旦那からではなく親からその事実を知らされた。
今思うと、この時にしっかり財産分与して円満離婚しておけば良かった のかもしれない。。。
結婚19年目 :女性との交際スタート⁽本人の証言)
家にほとんど居なくなった。(正月だけは居た)
私との対面の会話はほぼ無し※1
子供達との会話&交流も激減※2
母の死去※3
※1 週7日、仕事なのかどうかも行先も帰宅時間も告げずに知らない間に
外出していた。帰宅しても黙って部屋に閉じこもり、
皆が寝てから食事をしたり、
そのうち帰宅が朝方になったり、外泊もするようになってきた。
作り置きしていた食事も食べていたり、手を付けずにそのまま放置
されていたりも何度もあったし、
以前は食べかけを捨てられていたことも何度かあった。
帰宅したのか外泊したのかは、洗濯機に下着や靴下が入っているか
いないかで判断するくらいの頻度になってきていた。
※1 基本LINEも既読スルーされる
今となってはおそらくブロックされている。
※2 長女が友達との関係に悩み、一時学校に行けなくなった時期があり、
毎晩泣いて過ごしていたことも、学校を休み平日の日中に家に居たことも
知っていたのに特に何も聞いても来ないし声をかけることもしてこなかった。
受験期で毎晩遅くまで勉強していた長女に、帰宅して顔を合わせても特に
進学や勉強の協力や相談にのるような声かけもなかった。
合格発表の日も卒業式も入学式も日時すら聞いて来ず、当然のように無言の欠席
だった。
※2 次女が家族との交流がなくなり帰宅しても部屋に閉じこもりの父親を
心配し、
私にも内緒で父親に切実に手紙を書いて渡したらしいが、
その後なんのリアクションも返信もなく、次女はそのことに傷つき、
当時習い事をしていた先生に泣きながら相談していた。
(わたしはその時はじめて事情を先生から伺い知りました)
※3 母が亡くなった日から旦那はわたしに声をかけてくることがなくなった
病院に駆けつけてはくれたものの、傷心のわたしに最後までひと言も声をかけ
てくれることはなかった。
※3 通夜、告別式の準備に私方の親族が多忙にしていてもどこか他人事で
尚且つ通夜の当日は会社こそ休んでくれたものの、日中ずっと自分の
仕事をしていて、遺族の父や兄達の方が旦那に気を使ってしまう始末。
※3http://rikondochuhati 葬儀が全て終わり、父が、兄のお嫁さんとわたしの旦那に
謝礼に10万円を渡していたとのこと。
わたしは父と兄嫁と話をしていて知ったが、
父は「葬儀の前後、色々と準備を手伝ってくれてありがとう」という
父なりの気遣いの謝礼だったとのことでした。
(旦那はほぼなにも手伝っていないが)
当然のごとく兄嫁はすぐに兄と子供達に報告し、謝礼金の使い方を家族で
話し合ったという。
10万円という高額をわたしの父から受け取っていたことを旦那は
結局自分からは報告してこなかった。数週間経ってからわたしから、
父から「何か」を受け取ったか尋ねてみた。最初は「なにも受け取ってない」と
否定していたが、父が謝礼を渡したという事を聞いているのだけど?と
聞いたら気まずそうに「あー」といって渋々封筒を持ってきた。
中身を確認したら1万円が入っていた。謝礼はいくらだったか聞いたら、
「この1万円だけ」だと主張し続けたので、私はもうそれ以上追及するのを
やめました。
「母の葬儀の、父の気遣い」を、何か、揉め事というか、違う意味で悲しく
虚しいものにするのが両親に申し訳ない気がしたから。そしてこれ以上わたしが
傷つきたくなかったから。
でも、旦那が確実に嘘をついていることはわかっていたので、きっとわたしは
この瞬間から旦那への気持ちが急激に変化したのだと思います。
わたしの大切な人が亡くなった時、
精神的に支えになって貰えなかった悲しさと、
わたしの大切な人たちの善意を「嘘」で誤魔化された虚しさ。
わたしの心にずっしり残ってしまいました。
因みに、この謝礼金が1万円ではなく10万円であったと
「嘘」を認めたのは、
この離婚道中の、ちゃぴろぐ『発覚』のあの日の夜でした。
この長きに渡る出来事、事実がわたしの旦那への不信感のごく一部です
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